117クーペXC 丸目量産1975年製 PA95 売れました
いすゞ117クーペXC 丸目量産1975年製 PA95 が売れました。
- グレード名:XC 黒革
- 排気量:1800 cc
- 年式:昭和50年 (1975年) 11月
- 走行距離:約90,000 km(メーター値、実走行は不明)
- 色: 緑
- 車検有効期限:2022年(令和4年)4月23日
- ミッション:4速マニュアル
- ボディタイプ:クーペ
- ドア数:2ドア
- 乗車定員数:4人乗り
- 駆動方式:2WD(FR)
- 燃料:ガソリン(ハイオク推奨)、潤滑剤を給油の都度添加
- 点検記録簿:現所有者自前のメモあり
- 車台番号(下3けた):717
- リサイクル預託金:6,430円
<車輛の状態>
2013年3月に購入以来、ほぼ毎日通勤に使い、年間で約5000キロ走行しています。
前および前々の所有者の頃はほとんど車庫に入っていたようでして、プロの友人にお世話なりながら処置をすべき順に古い機関を徐々に交換していきました。
当初はラジエーターキャップ、デスビキャップ、オイルフィルター、ラバーホースを新調し、また少し雨漏りがあったため両扉のウェザーストリップを交換し、雨漏りもなくなりました。
2016年にはエンジンのガスケット、排気の触媒、ヒューズボックス、テールランプ、プラグコードを交換(コードの形状の都合で4本中一番前側のみ純正のまま)。
2018年にはロウワーボールジョイントを交換。
2019年にはキャブをオーバーホールし、エアフィルターを交換、燃料フィルターを設置し、スタビライザー用ブッシュラバー、オルタネーターを交換。
2020年にはハロゲンライト、前輪ブレーキパッド、ホワイトリボンタイヤに交換。
常時エンジンオイル、プラグ、ブレーキオイルの交換を励行し、車検の都度下回りの洗浄やバスタ塗装、各部のグリスアップを行ってきました。
購入当初は不調になる都度、問題の箇所を交換していきましたが、特にキャブ交換以来きわめて安定しており、毎日の通勤ドライブを楽しんでいます。
目下の課題は写真にもある錆です。左右の前輪の後ろ下部の錆が浮いてきており、そろそろ板金屋にお世話になることを考えていたところでした。また左右の扉を開けた際に何度か壁に当ててしまい、少し傷があります。
動かないものは時計、8トラ、後部ガラスの電熱線です。
クーラーは停車中に使うとエンジンの回転が不安定になりますが、継続走行中はしっかり効きます。ヒーターは安定して暖かく、デフロスターもそこそこ効きます。ラジオも聞けて(たまに急に砂嵐になったりしますが)、アンテナも安定して動きます。
完璧とは言えないものの、ここまで安定して日常的に乗れる117クーペは、そう多くないと思います。
<その他付属品>
- 純正フェンダーミラー(現装着分はハンドメイド用)
- ボンネットゴム
- ウェザーストリップ各種
- 専用ボディーカバー
- 修理書
- ボデー編管理No.102-003
- PA95型修理書シャシ編 管理No.102-005
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オーナーズハンドブック
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ホイールもう1セット(現在装着はカンパニョーロ、予備にクロモドラ)
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インパネカバーシート
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未使用オイル
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未使用給油用潤滑剤
他に多数あり、いずれもお付けします。
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1975年製のこの美しい名車が日常生活の中にあったこの7年半は、とても楽しく、幸せでした。
いつか息子に受け渡したいと思っていたのですが、諸般の事情により泣く泣く117クーペを手放します。その話を家族にしたら、中学生の息子に泣かれてしまいました。どうかだいじに乗っていただければ幸いです。
以下、写真を掲載します。
発想法のいい本が出たと思う
この手の発想法とかの書籍は世に出すぎていてあまりにも玉石混交で、書店でもほぼ手に取ることすらなくなった。
そんな中、ゴールデンウィークに久々に家族で書店に行き、多少は時間的にゆとりをもって物色できた中で目に留まったのがこの本だった。著者がブログで知られている人であることを私は知らなかったが、中身からこの著者の思考と知識の泉は信頼できると思った。まとめ方も見せ方もわかりやすいし、何たっておもしろい。
アイデア大全――創造力とブレイクスルーを生み出す42のツール
- 作者: 読書猿
- 出版社/メーカー: フォレスト出版
- 発売日: 2017/01/22
- メディア: 単行本
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よく日本の教育(特に受験勉強)は知識の詰め込みだから無用だという批判を聞く。この批判の多くが、海外にかぶれた人たちや、外国人だったりする。で、こういう人たちが妙にアイデアとか、イノベーションとか、バリューとか、ダイバーシティーとかいうバズワードを使いたがる。
しかし、知識は絶対的に重要であり、これなしにアイデアなんて生まれるわけがない。そして知識を得るためには、知識の連関を理解する必要がある。知識の連関・つながりからこそ、アイデアは生まれる。問題は、このことを学ぶ側に理解させてあげられていないことだ。教員の素養とは、詰まるところ哲学的な思考力とその説明力なんだろうと思う。
私自身7年前に教員に転身して、なかなか一丁前に論文を書けていない。つまり、自分の経験や知識を一般化させて世の中のために少しでも価値あるアイデアに仕立て上げられていない(なかなか時間がないというのが本音だけど・・・)。それだけに、こういう思考の枠組みや連関の手ほどきを指南してくれて、読み手の知的営為を促してくれるのはありがたい。
加藤紘一氏の訃報に思うこと
ご冥福をお祈りいたします。
良くも悪くも私が政治に関心を持つきっかけをくれた方でした。氏が一時期辞職していた頃、ニューヨークの留学先に半年近く滞在しておられました。授業を聴き、飲みに行き、ご自宅に行き、日本そばまで振る舞っていただきました。学生グループで一緒にコリアタウンの焼肉に行き、後に討論イベントもやりました。
数年後、議員として復帰した後にニューヨークに来られ、母校でまたイベントをされていました。生意気で門外漢の私が、今思えばたいへん失礼な質問を投げかけたりもしました。イベント後に挨拶をした際、ギッと睨まれた時の目を今でも鮮明に覚えています。私の名刺をわざと落としたりして、私も更に腹を立てたりしていました。
素人の私には、「加藤の乱」で国民を裏切ったことがいつまでも許せなかったのです。たぶん私は、公人を勝手に神格化か、あるいは特別視していたのかもしれません。様々な功績がある大物政治家の一部分だけを見て歯向かう振りをしてみて、ちょっと酔いしれていたように思います。当時の私には、ミーハー気分と、特に人間的魅力を感じなかったことによる落胆と、つい権威に歯向かいたくなる気持ちが入り交じっていました。
後になって思い返せば、公人も紛れもなく一人の人間であるということを、直接教わっていたのでしょう。氏にとっては全く取るに足らない私個人に対してそのことを教えようという意志があったかはわかりませんが、そのことを若者が先輩から学ばなくてはならないのが世の常であって、私がそこに気づくのに時間がかかってしまったわけです。
留学の同士たちはそれぞれ思うところがあったでしょうし、訃報をそれぞれの思いで聞いていることと思います。
今さらつらつらと書くのもどうなのかと自問します。しかし、時々こうして正直にうちあけるのは、学生を含む若い方々にもどんどんリアルなものに触れてほしいと思うからです。
ツィメルマンの演奏会
11月21日、クリスティアン・ツィメルマンのピアノリサイタルに行くことができた。初めてツィメルマンのライブを聴いたのが大学時代の93年春なので、もう22年間以上この人の演奏を聴きつづけていることになる。
東京でもNYでもジュネーブでも関西でも、これまで何度ライブに行ってもほぼ必ずと言っていいほど度肝を抜かれてきた。今回は、日々の生活がこれまでになくバタバタしていて、こういう時に芸術に触れても感度が鈍っているのではないかと危惧しながら挑んだ。
端的に言えば、そんなことは杞憂だった。この感慨を言葉にするのは難しいし、音楽を語ること自体が野暮だという私の若いころからの思いは今も変わらないが、それでも言いたくて仕方がない。それだけ感情的な起伏をあの2時間で経験して、自分だけで抱えていられないのだ。子供じみているけど。
シューベルトの最後の2つのソナタを持ってくるあたり、相変わらず本気プログラム。ツィメルマンは一時期ガーシュウィンとか弾いていたけれども、あれは正直似合ってなかった。この2つのソナタ、93年の初めての時が21番、1〜2年後に20番を聴いた。特に初めての21番は印象的で、若干20歳の私がこのライブを聴いてペーターズ版のソナタ集を池袋のヤマハで買って、ピアノの先生のところに持って行ったりした。結局1・2楽章で挫折しちゃったけど。
シューベルトって、様式はきわめて古典に忠実で奇をてらわずも、とても多彩な表情を持っていて、長調なのにどことなく悲しげで、つい背筋をピンと伸ばして聴いてしまう。
この日のシューベルトはと言うと、まずは久しぶりに聴いて、最初はツィメルマンらしいキレキレな演奏にこころなしか違和感を覚えた。20番の1楽章は、あんまりキレキレは似合わないかなという印象だったが、2楽章以降もツィメルマンは徹底的に世の中のシューベルト像に挑戦しまくった感じだった。2楽章ではとことん暗くデリケートに、3楽章ではピアニズムの鬼と化して、叙情的な4楽章でもさほど叙情的にはなりすぎず、ツィメルマンにしか出せないtuttiの音で会場を圧倒した。ツィメルマンのtuttiは、立体的という表現は簡単だが、内声もしっかり鳴らしつつもベターっと汚くならない独特なものだ。この音を出すピアニストに出会ったことはない。
キレッキレのシューベルトながら、圧倒的に研究しつくしてシューベルトに挑戦していることがよくわかる。時には低音部で楽譜にない音を加えたりもするが、解釈は楽譜の枠を出ることは基本はない。逸脱はせずに、私たちが常識だと思うシューベルトの概念を木端微塵にするのだ。しかも徹底しているから、非の打ちどころがない。
21番、1〜3楽章はいわゆる正統派でもあった。個人的に思い入れのある曲だし、このまま時間が止まってほしいと思いながら、じっと聴いていた。
と、4楽章ではいきなりやってくれた。第1音、Gのオクターブ。
私のペーターズ版ではフォルテピアノの表示である。ツィメルマンがここを弾いた瞬間、一体何をしたのか、気になってしょうがなかった。打鍵の瞬間ははっきりフォルテで、直後からプーンとほとんど倍音を鳴らすような聴いたことのない演奏だった。
離鍵した直後にペダルを踏んで残響を鳴らしている?ハーフペダル?二度踏み?今日ちょこっと家でやってみたけど、おそらくハーフペダルなのではないかな?何度も出てくるこの「プーン」で、自分特注のあのピアノを自在に操って会場を楽しませていた。
4楽章は一気にキレッキレなシューベルトを聴かせた。こんなにエキサイティングな空間にいられたことの喜びや、この演奏会が終わってほしくない惜しい思いとか、久しぶりに高度な芸術に触れられた感動とかで終演前くらいから涙が止まらなくなっちゃって・・・こういうことを書くと一気に興ざめになるのは知りながら。
クロスロード
学会でスロヴェニアの首都リュブリャーナに行ってきた。日本における統合報告と投資家のスチュワードシップ・コード導入に関するプレゼンをしてきた。
途中、イスタンブールとサラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)に、学会後にザグレブ(クロアチア)に行った。今回訪問した都市全てが、歴史上複数の支配者がいたが故に複数の宗教文化が残っていた。東から順に、イスラーム色が濃く、西に行くにつれてカトリック色が強くなる。また中間辺りにキリスト教の正教会が強い。
イスタンブールは、アヤソフィアがその象徴だと思う。ビザンチン帝国からオスマントルコへと変化したため、壁の中にはキリストがいる一方、あちこちにイスラームの装飾などが施されていた。
西方のリュブリャーナやザグレブなどでは、多数派はカトリックながら、セルビア正教の教会が散見された。
一番複雑なのが、やはりサラエボだった。まさに三つ巴の状態で、モスクもカトリックや正教の教会も、全てが併存していた。90年代の戦争以来、それまで仲良くやっていて混血も進んでいて、宗教を理由に戦ったことなど一度もなかった。しかし戦争を機に棲み分けが進んでしまい、社会も政治も、つまりは経済も混乱している。
互いの疑心暗鬼は進む一方だという。
人々の心の中は複雑で、「あいつらに母が殺された」のに、そう易々と和解など進むはずがない。この溝は何十年か経たないと埋まってこない。この心理は当事者にしかわからない。どんなに国際社会が和解を求めてもそれは的外れな要求である。
三者いずれも、互いを虐殺や集団でレイプしたりしている。だから傷は極めて深いし、自責の念も強烈である。
政治はそれぞれがほぼ同等に権利を与えられてしまったがために意思決定が不可能な状態になっている。政党は宗教がベースになる。そこには利権も生まれる。精々できることは、経済的に発展することくらいだが、政治がこれでは物事もうまく運ばない。そして仮に経済成長しても、それが戦争や対立を解決することは絶対にない。それでも、ないよりは絶対にマシではある。
サラエボは、クロスロードだからこそ観光的にはたいへん魅力的だが、こうした悲しい歴史を孕んでいる。この状況を、もっと勉強しなくてはいけない。
以下、サラエボ:
1994年2月、虐殺が行われた青果市場
手榴弾の跡
戦時中の秘密トンネル。ボスニア人の生活物資を運ぶ命のトンネルだった。
ほぼ360度山の上からセルビア系勢力に方位され、唯一の経路は国連が支配した空港が塞いでいた。ここに秘密トンネルが掘られた。
市庁舎 ここで瓦礫の中チェリストが演奏を続けた様子に世界は食いついた
ラテン橋: 第一次対戦開戦のきっかけとなったセルビア皇太子殺害事件はこの橋の対岸で起きた
連合経済の難点
この記事を読んでの雑感。
欧州、シェールガス商用生産 ポーランドで年内めど
2014/7/14 日本経済新聞
欧州、シェールガス商用生産 ポーランドで年内めど :日本経済新聞
まっさきに思い出したのは、福島原発事故後にドイツが表明した脱原発に伴う、電力コスト高と産業の周辺国シフトのことだ。
電力コスト高による国内の産業空洞化を懸念するつもりはない。それはドイツ自身が選択したことだから。
気になるのは、原発を推進して電力コストが相対的に安い周辺国、特にチェコなどにシフトしている点だ。ドイツ政府は、起こり得る原発事故を懸念して脱原発に踏み切ったわけで、見方によっては周辺国がそのリスクを請け負っているとも言えなくない。功利主義者なら、その対価として産業の流入があると言う。チェコとしては直接投資を受け入れるのだからありがたい、ということになる。しかし、ドイツが恐れるように、チェコだって原発のリスクを恐れてはいる。それでも、経済的対価と天秤にかけて、原発を選ぶ。
今回の記事のシェールガスに関して最も懸念されているのは地下水の汚染などの環境問題であり、これが理由でドイツとフランスがシェール開発を禁止している。これも同じく、独仏による選択である。
一方で、近隣のポーランドやデンマークなどがシェールガスの商用生産をすることになっている。しかし、共同体の中で欧州のシェールガスの最大消費地はドイツとフランスである。
ポーランド・デンマーク・ルーマニアなどは、環境汚染の対価として経済的利益を優先させた。結果的に、独仏が環境汚染のリスクを他に負わせている構図とも言える。
欧州の政治経済が専門ではないので詳細はわからないが、連合内で国家間の経済的・政治的な取引があって今のエネルギーの構図があるのだろうと想像する。しかし、この構図は原発立地が福島・青森・新潟・福井などの地域に政治的に決まってゆくのと変わりがない。長期的に禍根を残すかもしれない。
一貫性なき政策・意識
以下の記事、突っ込んでくださいと言っているようなものだ。
女性リーダー集めた世界会議創設 首相が単独会見
人口減抑制へ地方戦略、年明けに策定
日経新聞 2014/7/8
女性リーダー集めた世界会議創設 首相が単独会見 :日本経済新聞
記事前半:
首相は「歴史に例のない人口減少と超高齢化は地方でより深刻だ」と指摘。そのうえで「東京一極集中に歯止めをかけ、地方の拠点都市に必要な機能を集約させる・・・
記事後半:
女性リーダー会議は、先進国で女性の社会進出を経済成長につなげる方策を議論するとともに、発展途上国での女性の権利の確立を後押しする。第1回会議は9月に東京で開き、ラガルド国際通貨基金(IMF)専務理事やシェリー・ブレア元英首相夫人らが出席する・・・
だからもう・・・