加藤紘一氏の訃報に思うこと

ご冥福をお祈りいたします。

良くも悪くも私が政治に関心を持つきっかけをくれた方でした。氏が一時期辞職していた頃、ニューヨークの留学先に半年近く滞在しておられました。授業を聴き、飲みに行き、ご自宅に行き、日本そばまで振る舞っていただきました。学生グループで一緒にコリアタウンの焼肉に行き、後に討論イベントもやりました。

数年後、議員として復帰した後にニューヨークに来られ、母校でまたイベントをされていました。生意気で門外漢の私が、今思えばたいへん失礼な質問を投げかけたりもしました。イベント後に挨拶をした際、ギッと睨まれた時の目を今でも鮮明に覚えています。私の名刺をわざと落としたりして、私も更に腹を立てたりしていました。

素人の私には、「加藤の乱」で国民を裏切ったことがいつまでも許せなかったのです。たぶん私は、公人を勝手に神格化か、あるいは特別視していたのかもしれません。様々な功績がある大物政治家の一部分だけを見て歯向かう振りをしてみて、ちょっと酔いしれていたように思います。当時の私には、ミーハー気分と、特に人間的魅力を感じなかったことによる落胆と、つい権威に歯向かいたくなる気持ちが入り交じっていました。

後になって思い返せば、公人も紛れもなく一人の人間であるということを、直接教わっていたのでしょう。氏にとっては全く取るに足らない私個人に対してそのことを教えようという意志があったかはわかりませんが、そのことを若者が先輩から学ばなくてはならないのが世の常であって、私がそこに気づくのに時間がかかってしまったわけです。

留学の同士たちはそれぞれ思うところがあったでしょうし、訃報をそれぞれの思いで聞いていることと思います。

今さらつらつらと書くのもどうなのかと自問します。しかし、時々こうして正直にうちあけるのは、学生を含む若い方々にもどんどんリアルなものに触れてほしいと思うからです。