クロスロード
学会でスロヴェニアの首都リュブリャーナに行ってきた。日本における統合報告と投資家のスチュワードシップ・コード導入に関するプレゼンをしてきた。
途中、イスタンブールとサラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)に、学会後にザグレブ(クロアチア)に行った。今回訪問した都市全てが、歴史上複数の支配者がいたが故に複数の宗教文化が残っていた。東から順に、イスラーム色が濃く、西に行くにつれてカトリック色が強くなる。また中間辺りにキリスト教の正教会が強い。
イスタンブールは、アヤソフィアがその象徴だと思う。ビザンチン帝国からオスマントルコへと変化したため、壁の中にはキリストがいる一方、あちこちにイスラームの装飾などが施されていた。
西方のリュブリャーナやザグレブなどでは、多数派はカトリックながら、セルビア正教の教会が散見された。
一番複雑なのが、やはりサラエボだった。まさに三つ巴の状態で、モスクもカトリックや正教の教会も、全てが併存していた。90年代の戦争以来、それまで仲良くやっていて混血も進んでいて、宗教を理由に戦ったことなど一度もなかった。しかし戦争を機に棲み分けが進んでしまい、社会も政治も、つまりは経済も混乱している。
互いの疑心暗鬼は進む一方だという。
人々の心の中は複雑で、「あいつらに母が殺された」のに、そう易々と和解など進むはずがない。この溝は何十年か経たないと埋まってこない。この心理は当事者にしかわからない。どんなに国際社会が和解を求めてもそれは的外れな要求である。
三者いずれも、互いを虐殺や集団でレイプしたりしている。だから傷は極めて深いし、自責の念も強烈である。
政治はそれぞれがほぼ同等に権利を与えられてしまったがために意思決定が不可能な状態になっている。政党は宗教がベースになる。そこには利権も生まれる。精々できることは、経済的に発展することくらいだが、政治がこれでは物事もうまく運ばない。そして仮に経済成長しても、それが戦争や対立を解決することは絶対にない。それでも、ないよりは絶対にマシではある。
サラエボは、クロスロードだからこそ観光的にはたいへん魅力的だが、こうした悲しい歴史を孕んでいる。この状況を、もっと勉強しなくてはいけない。
以下、サラエボ:
1994年2月、虐殺が行われた青果市場
手榴弾の跡
戦時中の秘密トンネル。ボスニア人の生活物資を運ぶ命のトンネルだった。
ほぼ360度山の上からセルビア系勢力に方位され、唯一の経路は国連が支配した空港が塞いでいた。ここに秘密トンネルが掘られた。
市庁舎 ここで瓦礫の中チェリストが演奏を続けた様子に世界は食いついた
ラテン橋: 第一次対戦開戦のきっかけとなったセルビア皇太子殺害事件はこの橋の対岸で起きた