外国人労働者と社会

数年前から、フィリピンやインドネシアなど特定の国々から看護師に限ってトレーニングも含めて有期就労ヴィザを発行するようになったが、私が知る限りではこの政策はいまだにうまくいっていなく、世の中の看護師不足は一向に改善されていそうにない。いかにもその場しのぎの発想だし、看護師には患者・医師・他のスタッフ等との高度な言語コミュニケーション能力が必要だから、そう簡単に海外から呼んで来られるものではないことは容易に想像がつくはずだ。

ここにきて、また来た。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014010301001036.html

看護師と異なるのは、建設現場の場合はさほど高度な言語コミュニケーションを必要とはしない点だ。この点では、一定程度労働者は来るかもしれない。

しかし、こういうことは必ず禍根を残す。一つは社会に、もう一つは外国人労働者とその周辺に。

第一に、日本の社会は外国人労働者を受け容れるほど寛容ではない。このことはブラジル系やペルー系労働者が多く働く愛知県、岐阜県群馬県などのケースを見て、社会との融和がうまくいっていないことからも明らかだ。これらのケースは比較的安価な労働を雇いたいというニーズがあり、しかも多くは日系人という人種的なハードルも低いながらも、結局は社会の一員であるという認知がされない。

第二に、外国人労働者自身についての配慮が足りない。外国人労働者にも必ず家族がいる。そして、途上国から先進国へ出稼ぎに来るということは、収入や生活インフラなどの面でも、それだけの誘因があるということだ。家族持ちであれば家族を呼びたいだろうし、独身でも親兄弟を連れてきたいと思うことは容易に想像できるだとう。このことは、私自身がかつて米国とスイスで就労ヴィザと取得して外国人労働者として働いていたから、その気持ちはよくわかる。不法労働自体はよくない。でも、法で許されないからダメというのは管理する側の論理であり、外国人労働者にも生活があり、家族があり、人生があることに思いを巡らす必要があるのだ。日本の社会全般に、こんな意識はあるだろうか。

ドイツのメルケル首相が数年前、第二次大戦後のトルコ等からのガストアルバイターという政策は失敗だったという公式声明を出した。これは、いずれは帰国するだろうという目論みも甘かったし、同化するなら徹底的にドイツ人になれと言ってもドイツ人自身が移民を受容しきれなかったからだ。

看護師のケースにしても建設現場のケースにしても、配慮が足りなさすぎる。いわゆる「3K」の仕事を有期外国人労働者に託せば済むだろうという安易な発想は、解釈次第では歴史の負の記憶を呼び起こしかねない。だったら、そもそもそんな政策は出さない方がよい。