戸籍という制度

欧米の多くは、教会がこの制度を補完してきたようですが、日本・韓国・台湾については、国の制度としてこの仕組みがある(あった)ようです。また、同じ出所によると、ドイツやスイスには家族単位での登録が、スウェーデンやオランダには個人単位での登録制度があるそうです。

台湾のものは中国に近いらしく、住民票を兼ねたようなもののようです。そして韓国は2008年に廃止しています。父系の血統主義が制度化されてしまっている戸籍制度は違憲だ、という判断だそうです。ドイツやスイスのものはよくわかりませんが、ドイツについてはナチスの名残りでもあるようです。

で、この戸籍制度、日本では一部の左派や人権系団体などから不要論が唱えられているようです。私がそれらの団体と発想を共にしているかはわかりませんが、私もその意義に疑問を感じています。もともとは両親が一応最新の戸籍上はシンプルだったこと、私も結婚して子供たちも生まれ、制度的にも自立して責任感を感じたことなどもあり、その存在を疑問に感じることすらありませんでした。しかしここ数年で父をはじめ多くの親類が他界してゆき、戸籍謄本を過去に遡って集める必要などもあったりして、段々とこの制度に疑問を感じるようになりました。

個人の記録として、例えば社会保障番号とともに情報が取れるのはわかりますし、出生証明のように親を特定するものが別途あっていいと思います。ただ、戸籍制度については、ある定まった形での家族が望ましいかのような錯覚を受けますし、いわゆる「戸籍が汚れ」たことを本人やその親類・子孫までがいちいち不利益を被るような社会は、閉塞的だし寛容でなくていやですね。ねちっこい。これは、離婚率を抑える云々の問題ではないわけです。

そして何よりも、やはり差別の諸悪の根源はこの戸籍制度にあります。世界的にも極めて稀なこの制度は、人々の生活を画一的にするだけではなく、身分や血統によって人を分別してしまう道具となってしまっています。実際、結婚前に相手の戸籍をしらべるとか、いまだによく行われちゃっていますよね。進学や就職にだって、無縁な話ではないはずです。「一票の格差」以前に考えるべき違憲事項だと思います。