現象学ふたたび

以前ずいぶん売れた小熊英二氏の

社会を変えるには (講談社現代新書)

社会を変えるには (講談社現代新書)

でもそれなりのスペースを割いて現象学の説明をしていましたが、どういうことか、最近現象学って流行っているのかしら? それとも社会を語るうえでもともと現象学的発想というのは自明のもので、真新しいものでは決してなく、単にこれまで私が気づいていなかったということなのかしら?

日本や外国で多くの方々とであってきた中で感じるのは、社会って結局個人個人がバラバラの見方をしていて、その個人個人が交わることで合目的にコミュニティの中に合意や仕組みができあがっていく(間主観性)、という当たり前のことを痛切に感じるのです。

昨日は大先輩先生方とダブルヘッダーで、まずは祇園でコップ酒を数杯飲んでから、北野白梅町でのカラオケに合流する合間にフラッと四条河原町角のBook 1stで衝動買い。

数の現象学 (ちくま学芸文庫)

数の現象学 (ちくま学芸文庫)

場所の現象学―没場所性を越えて (ちくま学芸文庫)

場所の現象学―没場所性を越えて (ちくま学芸文庫)

まあ1999年と2009年の出版だから、決して流行とかっていうことではないのかもな。昨年、現象学やら構築主義やらについて幾つか読んで以来、おそらくアンテナが立つようになったのでしょう。現象学について知って以来、研究者と議論をしたり、人と酒を飲んだり、業務上のやり取りをしたり、他者との誤解やすれ違いを経験するたびに、社会の仕組みを説明するには現象学的視点が腑に落ちるのです。

より良い社会をつくりたいと願うならば、私たちは他者の多様な意見に謙虚に耳を傾け、自分の意見を明確に述べ、合意形成をしてゆく必要があるのだと、当たり前のことを再認識しています。