マルクスの亡霊

「民主主義」の解釈は多様である。米国が民主主義教育を強調し、かたや北朝鮮だって国名に民主主義を標榜している。

今日ジュンク堂の近刊コーナーでなんとなく衝動買いしてしまった。

叛逆 マルチチュードの民主主義宣言 (NHKブックス)

叛逆 マルチチュードの民主主義宣言 (NHKブックス)

原題が"Declaration"というくらいだから、この本がやたらと宣伝めいているのは仕方がない。ただ、「反逆」ではなく「叛逆」だったり、「闘争」の語を乱用していたり、まず語彙の面で少なくとも私の趣味ではない。

また、借金返済を拒否せよという所以は、「そうした束縛や負債から逃走するのは、『紐帯』や『負債』という言葉に新しい意味を付与し、新たな社会的関係を見出すため」(p.67)なのだそうだ。マルクスを引用して、「負債の返済を拒絶する目的は、貨幣の権力と、貨幣が創り出す束縛を粉砕すると同時に、新たな紐帯と新しい負債[=恩義]の携帯を構築すること」(p.68)とのこと。

私はどうしても、こうしてものごとを上と下に分けようとする考え方に賛同できない。「闘争」と「革命」を訴え、その末に何らかの勝利を得たならば、彼らはきっと上から旧体制派を下に見ることだろう。それは明らかな自己矛盾行為である。

今この時代だから、こういう思想が世界中でうようようごめいて来るのはわからないこともない。京都の一部のコミュニティでも、風を感じている人たちを見る。しかしその風は必ずまた逆風になる。