「介護・家事にも外国人労働者」

昨日の記事

「介護・家事にも外国人材活用、国家戦略特区で先行実施も=政府会議」(ロイター 4日)
介護・家事にも外国人材活用、国家戦略特区で先行実施も=政府会議 - ロイター

このブログでも再三書いてきたが(たとえば外国人労働者と社会 - Econ少年漂流記)、この政策には賛同できない。理由は大きく分けて2つあり、日本社会の受け入れる態勢の問題と、日本人がやりたがらない仕事をやらせるという発想だ。

国際化は歓迎してよい。外国人が日本に移り住みたいのであればそれは歓迎すべきであり、共存できるのであれば理想的である。ただし、そのためには受け入れる態勢が必要である。日本の社会が変わるために受け入れるか、変わってから受け入れるのか、恐らく前者で対処してゆくしかないのだが、それにしても受け皿に問題がある。受け入れないと変わらないのはわかっているが、それでは過渡期の外国人が気の毒である。ブラジル、ペルー、フィリピンなどからの労働者の受け入れは社会に禍根を残しているし、もっと前のことであれば戦後以降の在日外国人の例からも明らかである。

外国人労働者に対する政府や社会の配慮も足りない。「ビザが切れたら帰れ」という発想は、いかにも自分と自分に利害関係のある周辺の人々のことしか考えていない。諸外国も同様の処置をとっているというのは理由にならない。労働者にも家族がいて、一緒に暮らしたいと考えていることに思いを巡らすのは、そんなに難しいことではない。

上記のロイターの記事に関しては、介護・家事などは日本の労働市場でも労働供給が需要を上回っている(つまり人手が足りない)分野であり、そこを安い外国人労働者で穴埋めしたいということになる。発想は単純だが、下記のような根本的問題を孕んでいる。昨晩ワールドビジネス・サテライトでもこの件について解説していたが、高齢化と年金のバランスの問題があるから仕方がないとか、犯罪率が高まるとかいうコメントだった。断片的だし、自己を中心に利害関係のある近い同心円のことしか見ていない、見識も配慮もない言葉だし、もし「テレビ東京日経新聞経団連」という文脈で否定するわけにいかないのであれば、媒体として失格だ。

そして介護も、たぶん家事も、極めて高度な「日本語による」コミュニケーション能力を要する。多くの日本人にとっても、特に介護による心労は避けて通りたいものであり、だからこそ労働需給にもギャップがある。これはフィリピンやインドネシアから招いた看護師が定着しないのと同じ問題である。失敗から学んでいない。もし言葉が通じない方が心労が少ないからというシュールな理由で呼び寄せるのであれば、それはそれで苦笑するが、やっぱり外国人には気の毒だ。

いわゆる「3K」の仕事を有期外国人労働者に託せば済むだろうという安易な発想は、社会にあえて階層を作り、階層と民族を固定化させ、職業も固定化させる(記事の政策はこの発想を基にしている)。そうなれば、いつか来た苦難の道をまた歩むことになる。