師匠がいない!

大学の教員になって3年半、これまで研究面で何が一番しんどいかって、自分が「弟子」としてついている師匠がいないことだ。

最近ずいぶん売れっ子の内田樹の「修行論」を読了。私自身経験を重んじることもあり、稽古から得るような、相手の動きと「同期」することの習得は絶対的に重要だと思っている。思い返せば子供のころから野球とか、ピアノとか、あるいは仕事にしても、繰り返し行うことから思考を超えたレベルで身体的に習得することを繰り返してきた。

修業論 (光文社新書)

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しかし、師匠なき稽古は、いつまで続くのだろう。自分一人で稽古していても批判も受けず、時折参加する研究会などでコケにされる程度だ。そういう場では師弟関係でもなく、自分一人の稽古を修正するための指針となるものを得られたことがあまりない。外国のサラリーマン出身の私にとって師匠「的」な人といえば元上司だったり、学問的には違う分野の教授になってしまう。

この「レヴィナスと愛の現象学」にもあるように、内田氏の心の「師匠」がレヴィナスということだ。

レヴィナスと愛の現象学 (文春文庫)

レヴィナスと愛の現象学 (文春文庫)

私自身、内田氏にとってのレヴィナスのように学問上の心の「師匠」も探している。経済とか社会科学の古典を読もうにも、学期中ははっきりいって無理。がんばるけど。それ以外の時間に大急ぎで読んでいる。