幸福と等しく限られた時間

トクヴィルアメリカの民主主義』(1835)、『時間意識の近代』より;

「この世の幸福の追求だけに、自らにこころを奪われている者は、常にせきたてられている。なぜかというと、彼はこの幸福をみつけ、これをかちとり、そしてこれを享受するために、限られた時しかもっていないからである。生命の短さの追憶が、絶えず彼らをかりたてる。彼は自ら所有している幸福とは別に、急がなければ、死が味わうことを妨げるであろう他の無数の幸福を、いつでも想像している。」

私が財閥系企業、留学先、ウォールストリート、国際会議などで見てきた様子や遭遇した人々にあてはまるところもあるし、自分自身がそうだったように思う。そして今もそこから脱していない。一生そうなのかもしれないが、それがあるべき姿だとは到底思えない。

だからこそ、生産性、リーダーシップ、効率化、一流企業就職、グローバルなキャリア形成、クリエイティブなど、昨今の教育の世界でも手垢にまみれたキーワードが連呼されすぎていて、大丈夫かなあと思うときがある。