インタゲ
経済を教える教員が経済の根本に関する見解を変更されては困る、という方もいらっしゃいましょう。しかし、やっぱり人は常に何が正しいのかを追い続けなければいけないし、その過程において考え方が変わるのは当たり前のことだと思うのですね。
このEconomistの記事を含め、日銀のスタンスの転換(正確にはゆっくりとした転換、かしら?)についての記事があちゃこちゃに見られるわけでございます。
Time for action - The Bank of Japan
大体2年くらいほど前まで私は、日本のデフレの根本的原因は日銀の金融政策にあって、金融政策次第でデフレは克服できる、という一部のエコノミストが声高に主張する論に同調していたのです。ミルトン・フリードマンの格言にまでなってしまった、"Inflation is always and everywhere a monetary phenomenon"という言葉を、文字通りに信じていたわけですね。今どき新自由主義かよ、と批判的な方も、特に京都あたりではいらっしゃるでしょう。何主義だろうが、フリードマンが研究者として到達した真理について、私は一定の理解と共感を覚えていたわけです。世の中に流布している、経済原理を無視した主張には、今でも憤りを感じることがあります。
しかし、もし本当にそうなら、日銀がこれまで行ってきた緩和策に効果がない理由がわからないわけであります。金融危機からすでに3〜4年経ちますが、その間も日銀はいわゆる非伝統的な金融政策を実行してきました(一定の国債やCPなどの引き受けなど)。効果が一切なかったかどうかはわかりませんし、計量的に分析をしたわけではありませんが、結果として、少なくとも日本経済はデフレから脱却していないわけです。
これまで90年代から2000年代にかけて、リフレ派とそうでない派(どう呼べばいいのかな?)で激しい論争がなされて、私が見る限りでは日本の経済学界の政治地図もこのあたりの主張でオトモダチ関係が出来上がっているような気がしています。もちろん、根拠のない勘です。
私はそもそもサラリーマンだったし、議論が沸騰している間海外にいたこともあり、傍観者としてかつてはリフレ派でありました。しかし、2年前の帰国以降でしょうか、厳しめに見ても、日銀がそんなに無能なわけがあるまい、と思うようになりました。それは、リフレが起きれば日本経済の問題の多くは解決する、というかつての考えはそのままなのですが、リフレが金融政策だけで実現するはずがなく、かつリフレは日本経済のマクロ的諸問題が解決され収斂していった結果として起こるものだ、と考えるようになったからです。
藻谷さんのバカ売れ本でもありましたように、人口動態に伴う需要の停滞と、結局収斂されることがなかった企業の材・サービスの過剰供給(それに伴う過剰在庫)、このミスマッチこそがデフレの真因じゃあないのか、と今は思っています。
デフレの正体 経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)
- 作者: 藻谷 浩介
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
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その意味でも、Economistの記事の最後にあるように、今後は日銀潰しの主張が弱まっていくのでしょう。その一方で、銀行が信用供給よりも国債買取ばかりしていること(もちろん資金需要のなさ)、それに頼る財政、企業による財・サービスの過剰供給とそれを後押しする経済産業省、また企業が利益をあげておきながら賃金に反映させずに内部留保ばかりしてきたことなどに、批判の矛先が向くのかな、と思います。
ついでに言えば、こんなふうに風見鶏のように意見を変えて、他人を批判することで飯を食っているパラサイト・エコノミストにも。