ルールを乗り越えることと生きること

バッハはそれまでのバロックの時代の音楽という宮廷音楽のルールを熟知しつつ、極めて精巧な対位法を多用するなど、その作風はそれまでの宮廷音楽の常識では考えられなうものであり、それゆえに必ずしも当時多くに受け容れられたものではなかった。バッハはバロックから古典派への時代の潮流を作った人だった。

モーツァルトも、ソナタ形式を独自に作り上げた一人だし、それまでのフーガや対位法的なものからよりホモフォニーなものへと移行させた。また、映画「アマデウス」にも描写があったが、それまでの宮廷用のイタリア語によるオペラを初めてドイツ語で作り上げ、波紋を広げた。

ベートーベンほど、古典派からロマン派への過渡期に生きてその作風の変化を見られる作曲家は少ないのではないか。初期の曲を聞けばホモフォニックで、少し無骨なモーツァルトハイドンかと思わせるものも多い。しかし中期から後期に渡り、その作品にはフーガや対位法を用いて過去への回帰を見せる一方で、哲学・文学・美術などの領域との係わり合いもあって確実にロマン派への流れを作っていった。その作風はなかなか社会には受け容れられなかった。

ブラームスショパンはバッハの対位法に敬意を表し、過去の偉業を習熟したうえで数々の名曲を残した。ドビュッシーは調性音楽そのものの枠組みを乗り越えて数々の作品で色彩的な要素を取り入れることに成功し、シェーンベルクは12音技法を作り上げた。しかしその当のシェーンベルクだって、ブラームスのピアノ四重奏曲第1番のようなロマンチックな調性音楽をオーケストラ版に編曲したりしているのだ。ラヴェルにも似たようなことが言える。

人は子供の頃から、様々なルールを押し込まれる。そして多くの人は、ルールを知れば知るほどそれを破ってしまいたいという本能に駆られることがある。過去4年間は関西の大学生と一緒に仕事をしてきたが、学生の多くは出る杭になることに憧れを抱いていたりする。しかしそのほとんどは、大学を卒業し社会に出ると、少なくともしばらくは出る杭になろうという思いを封印したりする。たぶん、未知の場所でルールを習得することに精一杯なのだろうし、それを習得することの意味を理解しているからなのだと思う。そのほとんどは、おそらくベートーベンやシェーンベルクのように後世に名を残すような偉業を成し遂げないだろう。そんな人が数多いたら、もうそれはベートーベンやシェーンベルクではなくなってしまうから。

しかし、私たちは生を授かって生きてゆく以上、自分が生きた証しを残そうとする本能がある。生きた証しを残すということは、たとえほんの少しであってもその人が世の中に影響を与えるということである。子供を育てたり(これが一番の社会貢献!)、仕事で実績をあげたり、コミュニティのために尽力したり、形は様々だろう。

一部の若者(それと私のように決して若くない者も含めて)に見受けられるのは、既存のルールは社会の癌だと思い込んで、それを変えたいと思っているのに、それに対峙しようとしないケースだ。しかし、バッハもベートーベンも、ブラームスドビュッシーシェーンベルクも、みんな既存のルールを回避したのではなく、乗り越えていった。批判も結構だが、まずは受け容れて、行動し、生きる足跡を残そう。


芸術家よ! 語るな! ただ一つの息吹だにも汝の詩たれかし(ゲーテ