ここ何年か、街の中で日産ジュークという車をよく目にする。
初めてこの車を見たのはその秀逸なお尻で、SUVらしく高めの車高にバランスのいい、やや小さめなお尻が美しく、一瞬「おっ」と思わせた。

まあところが、だ。たぶん同じように感じた人も多いのではないかと思うが、その顔とやら、なぜこんな四つ目小僧になったのか、理解に苦しんでしまった。芸術とガラクタの境界線は常に曖昧だと思うが(車がガラクタだとまでは言いませんが)、なぜ「これで行こう!」と、日産の社内で決めたのだろう。

そしてこんなジュークRというものもあるらしく、もうなんというか、クラスで最も嫌われているニキビだらけのベタベタしたエロガエル、というところである。性格もすごく悪そうな顔だ。

日産ジュークを見て、かつてのフィアットムルティプラを連想した人は結構多いんじゃないかな。これもまた、「なんでこのデザインなの??」という極めて珍奇で史上最強の卑猥な顔つきをしている。もうなんというか、ここまでイッちゃうと大した開き直りで、その個性は存分に発揮しているからまあいい。

ちなみにこのムルティプラ、1950〜60年代当初のモデルはこんなにカワイイものだったようで、これなら私も喜んで乗ってみたいのだ!これなら女の子だって楽しかろう。

しかし、だ。フィアット、お前もか。2004年にモデルチェンジした結果が、これだ。

もうここには、あのカワイイ初代ムルティプラもお下劣でうっとうしいほど個性的なムルティプラもない、無目的・無個性・常識的になってしまった。

1990年代から2000年代にかけて、車に限らず世界のありとあらゆることが常識的・合理的な方向へと進み、なんだか面白味のない、ワクワクしないものになった。しかし多くの人たちは、それに気づいた。今は、少しその潮流が良い方に変化しているのを感じている。