シューベルトのdur
ロマン派音楽の幕開けをしたと思われる2人の偉大な作曲家は、おそらくベートーベンとシューベルトでしょう。これに異を唱える人はいないでしょう。
2人とも殻にこもり、孤独と闘ったという意味では共通しているでしょう。
ベートーベンの音楽は、「田園」でも「歓喜の歌」でもいいのだけれども、その心の深層は、実は朗らかで明るいような気がしています。このあたりは交響曲第7番の第2楽章のチョー美しいmoll(短調)であっても、「運命」「クロイツェル・ソナタ」ピアノソナタ31番であっても、そう見てとれるのです。例えばピアノソナタ30番変イ長調の愛すべきフーガに一抹の悲しみを聴き取ろうとすると、たちまち曲は発散してスコーンと終るのです。この曲大好き。練習してます。なかなかうまくいかないけど。
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ベートーベンと類似の明るさを持った人に、小澤征爾氏がいるような気がします。音楽の喜びを聴衆に伝える能力において、小澤氏は世界でも類を見ない存在だと思います。一方で悲しみはというと、私は氏にある種の照れのようなものを感じるのです。長年音楽監督を務められた古巣ボストン響の最終公演でも、また20世紀最後のサイトウキネンの公演でもいずれもマーラーの第9交響曲を振っているのですが、選曲に社会的メッセージを感じつつ、腹の底から嘆いている「マラ9」ではなかったように思うのです。
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対照的にシューベルトのdur(長調)は、明らかにモーツァルトに影響を受けていると思います。モーツァルトのdurよりも、さらに哀愁を帯びていて儚い。またほんの少し高めの体温を感じる。今こうしてブログにどうでもいいことを書いているのも、Impromptu(即興曲)D899・作品90-1を聴きながら仕事してたからなんです。この小品の雲の切れ間に覗くdurなんて、ホントこの世のものとは思えないほど、もろくて儚いじゃないですか。
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バイオリンとピアノのための幻想曲C durなんかも、こういうシューベルトらしい美しさが全体に宿った名作だよなー。一生に一度だけでいいからこんないい曲を弾いてみたいよ。
これもまた偏見ですが、ピアニストのヴァレリー・アファナシェフに共通性を感じています。アファナシェフ自身、上記のバイオリンとピアノのための幻想曲をギドン・クレーメルと弾いていますね。私にとっては宝物のような永久保存版です。第3楽章の最初のテーマや、フィナーレで第1楽章のC durのテーマに戻るところなんて、美しすぎて失禁します。
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世の中、mollなのにどこか希望が見える方が喜ばしいのでしょう。そうでないと、救われませんもんね。
でも芸術作品としては、durの中に見え隠れする悲しさや儚さの方に美しさを感じてしまいます。
絶望はそう簡単に共感しきれないし、かたや歓喜ばかりじゃウソっぽい。Durだけどももの悲しさを感じるような、こういうどっちつかずな音楽の方が人間らしくていいっちゅうか、なんちゅうか、本中華。
ちなみに小澤氏、ここ数年で健康状態が一気に悪化していて、なんとも寂しい限りです。もうさほど長くはないかもしれませんが、ご健在のうちに、あのオーラをもう一度、生で感じたいものです。