大学と就職

教員の仕事に就いて2年弱になりますが、元サラリーマンということもあり、また海外でお勉強&お仕事していたこともあり、これまでそれなりの数の学生から、留学や就職についての相談を受けました。相談してくるということはこれらの学生は大体それなりに優秀で(ちゃんと教員の胸を借りることができるから)、あまり心配いらないのですね。心配いらないというのは、その時描く最大の希望が叶うとは限らないけど、いつかはなんらかの巡りあわせが来るだろう、ということです。

今年は私が直接教えた学生たちが就職活動をする年で、この秋からは私自身がゼミを持つことにもなるので、より進路について相談を受けることが増えてくるでしょう。

私が教えている立命館大学の国際関係学部は、大学のブランドこそ一流とは言えませんが、予備校が出している偏差値だけは結構高く、ものによっては慶応や早稲田と遜色ないくらいなのです。東京出身の私にとっては意外でした。実際に、感心させられる学生がそれなりにいます。しかし、残念ながらブランドや京都という土地柄もあるでしょう。いわゆる人気企業上位の会社に就職する率は相対的に低い。この現実は、学生自身も自覚しているようではあります。

だからどうしたのだ、むしろそれを逆手にとって、自由な生き方をしてみろ、なーんて言ってあげたいけれども、新卒一斉採用というシステムは、日本の若年層失業を引き下げる有効なシステムではありますね。自由と言ったって、自由に何をしたらいいのか、自分がその身になってみたらわかりません。新卒一斉採用という機会があるから、まずはどこかの業界で経験を積んで勉強できるわけですね。自分を振り返ると、まさにそうでした。

高校生にとって大学名で人生決まると勘違いしがちなように、大学生にとっても大卒時の就職企業で人生が決まるかのような風潮が感じられます。これは大いなる間違いだし、一生養ってもらうために入社するようなやつは企業にとっては邪魔かもしれません。

視点を変えて、一生を決めるとは限らないということは、さほどシリアスに捉えすぎずに自分が素直に楽しいと思える選択をすればよいのだと思います。仮に一番行きたいところに行けなくても、あるいは一番やりたい仕事ができなくても、それが一生固定されるわけでもないということですね。ところで、いつか巡りあわせが来るために、そしていつか巡りあわせが来た時に必要なこととして、今のところ学生に言っているのが、以下の3点です。

①常に目の前のことに素直に真剣に取り組むこと。プロとしての実績と能力は、これを前提にしています。
②努力を続けること。どんな仕事も、どんな能力も、地道な努力の積み重ねでしかありません。
③人に一生かけて誠実であり続けること。私が出会ってきた立派な方々は、みなさんそうでした。万国共通です。

大学院のある先輩は、これを総じてPlanned Happenstance(計画された偶然)と仰っていました。巡り合わせが来た時に、これらが全て長期的に継続的に過去形になっている人は鬼に金棒。必ずしもそうではない人は、無意識に去勢を張ったりもして、相手に簡単に見抜かれるでしょう。

お天道様は見ている・・・幼稚園でよく先生に言われた言葉です。

自省を兼ねて。