世にも悲惨(飛散)なウンコの話

大学教員が書くブログとしては失格だと思うし、とんだ恥さらしである。しかし、教員の前に人間である。これは私の半生の、ある意味、魂の叫びにも近いテーマだから、やっぱり書いてしまいたいと思う。

ことウンコと共に歩んできたという意味では、この世に私の右に出るものはあまりいないのではないか。

1983年、小学校5年生の時にアメリカに渡って以来、私の過敏性大腸炎との闘いは始まった。ウィキペディアによれば、今では過敏性腸症候群と呼び、そのうち私の場合「慢性下痢型」の範疇にあたる。
過敏性腸症候群 - Wikipedia

原因は「ストレス」と「生活の乱れ」の二つがあるようだが、そもそも小学校5年時点で生活の乱れなど皆無に等しかったし、これまで暴飲暴食はほとんどなく(あっても多少の大食い)、飲酒はほとんどない。となると、認めたくないが、原因はストレスということのようだ。確かに子供のころのアメリカでの生活では、慣れない環境で私なりにストレスを感じて小学校に通っていたのだろう。

以後、下痢をするのは決まって英語の試験の時だったりするのは、記憶が腸炎もたらすからなのだろうか。しかし明らかに原因はストレスだけではなく、例えばちょっと家と外気との気温差があったりするだけで、とたんに猛烈な腹痛に襲われたりするのである。

しかし、今や「ストレスを感じる→下痢する」という因果関係はほぼ皆無に等しい。別に英語を聞いたときとはではなく、むしろ周囲の気温の変化(低下)が原因なのがほとんどだ。それを身体のどこかの肌が感じ取ったとき、突然スイッチが入るようになっている。もう何十年も習慣のようにしみついて、身体が条件反射しているようだ。一年中、どの季節でも関係ない。一度感知したら、もうその超特急はリニアモーターカーのごとし。間に合わないこともあったりする。この歳で。

これまでニューヨークでもジュネーブでも世界中どの街でも、私はウンコ・ハプニングと共に歩んできた。

今朝のことだ。立命館宇治高校での出張講義の仕事があったので、朝早く家を出た。新しく通った京都縦貫道の大原野ICから京滋バイパス経由で宇治まで行った。9時55分から授業スタートなので、9時30分までに着けばいいだろう。9時15分くらいには到着したので、車を隣の宇治市植物園に駐めた。すると、車を出たら気温差でまたいつものやつが来そうだったので、公衆便所で用を足した。和式の便所には紙がなかったので、持っていたティッシュで拭いた。

別に今回は特に失敗があったわけではなかった。あ〜あ、またここでもウンコしてるよ、とウンコする自分をうすら笑いながら、足で流すレバーを踏んだ。

その時だった。「ブシューーー!」という破裂するような音とともに和式便器の端から強烈な勢いで水と空気が爆発するように出てきて、便器内にあった私のかなり柔らかめのウンコを吹き飛ばし、個室内に俺のウンコがみごとに飛散した。特にレバーを踏んでいた右足はほとんどウンコまみれになり、ズボンの前側も爆発の勢いで結構な量のウンコが付着した。

ティッシュで拭こうが水道で流そうが、見るからにウンコだったし、ニオイもまさしくウンコだった。こんな状態で、高校生たちの前で授業なんかできるわけがない。

時計を見たら、9時25分。これは困った。場所は宇治市の山の上で周囲にコンビニ一軒あるのみ、あとは車で10分ほど丘を下ったところに近鉄大久保駅周辺に街があるだけだった。

そしてこういう時に限って、スマホを家に忘れていた。少し遅れるにも、連絡のしようがなかった。

もう一か八かで、大久保のユニクロに行った。午前10時開店で、まだ開いていない。並びにイーオンの看板が見えた。ここなら9時からやっているかもしれない!急いでウンコくさい117クーペを走らせ、ウンコまみれのズボンのまま売り場を大急ぎで探し、トップバリューのチノパンを2,980円で買った。レジのおばさんたちに汚物まみれのズボンを見られたかはわからないが、幸いお店はガラガラで周囲に気付かれた様子はなかった。トイレへ駆け込み急いでズボンをはきかえて、大急ぎでまた車で立命館宇治高校へ向かった。こういう時かぎって、途中JRの踏切で電車がくるし、警察がはっていたりした。

高校についたのは9時53分。担当の先生に事情を急いで説明し、ギリギリになったことを許していただいた。

走っていたので、汗だくでハアハアいいながら、女子高生たちを前に授業をした。なんてったって爆発だったから、自分の体のどこにまだウンコがついていたか、はっきり言って見当つかない。

もうクタクタだった。宇治市植物園に弁償してもらうこともできるかもしれないが、事が事で偉そうに言う気にもなれない。たかがズボン代2,980円と1回多く払った駐車場代400円のために。

またまた、ウンコと格闘した一日だった。

どうしてこうもウンコと縁があるのだろう。今年は本厄なのだけれども、もしかしたらこうしてウンコを浴びたことでもう災いが起こらないのかしら。それならウンコの一つや二つ、浴びる方がまだいいのだろうけど。