いわゆる「炎上」と情報の非対称性

国連の委員会で国を代表して参加している者が「シャラップ!」と怒鳴ることはもちろんあってはならないのだけれども、それにしても最近、誰がどこかで何を言って、それに対してウェブ上で炎上した、というニュースをよく目にする。どこぞのイケメンシェフとか大阪市長とか、枚挙に暇がない。

世の中に70億人人口がいれば70億通りの考え方があり、この70億のうちのたった2人でも同じ頭の中身をシェアすることは不可能である。情報の非対称性とはまさにそういうことだ。SNSは画期的な産物で、それ自体は私も一定程度認めるが、あたかもSNSのおかげで世界の情報の非対称性が改善に向かうかのような論調をよく目にする。アラブの春をその例に挙げていたりする。しかし、どれだけ大量の情報が行き交っても非対称性の壁を乗り越えることは決してない。

どうやら私たちは、この画期的なSNSのおかげで、かえって住みにくい世界をつくってしまったようだ。噂話やいじめが絶えない、居心地の悪い中学校の教室みたいだ。人間の意地悪い猿根性こそがこういうムラ社会を作り出すと↓この書籍↓では言っているが、

反教育論 猿の思考から超猿の思考へ (講談社現代新書)

反教育論 猿の思考から超猿の思考へ (講談社現代新書)

SNSを華麗に使いこなすボス猿が辛口コメントを出すことでより注目を浴び、目に見えない一線をある日超えてしまうと、とたんに引きずりおろされてリンチされてしまう。この繰り返しだ。

私たちは子供のころから、こういうコミュニティはホトホトご免だと感じてきたし、そう教育されたんじゃなかったかな。これこそ、集団教育で学ぶ最も重要なことのはずだ。利用者もメディアも、雑音と本質的議論とを峻別できるようにならなければいけない。