普段使わない脳

このところ、研究の大テーマ策定と計画書作成に向けて、慣れない哲学の本に明け暮れていることが多くなった。めっきり、肝心な経済のことに触れていない。

今の職場での契約がちょうど折り返し地点にあったり、あるいは今はもしかしたら人生のちょうど折り返し地点くらいなのかもしれないが、とりあえず自分の見聞を整理して論理的な枠組みを用いて説明をするためには、どうしてもこういう勉強が必要になる。「見聞」というのも、研究者としてはまだまだ駆け出しだが、一応これまでのサラリーマン生活で内外で考えてきたことや、それ以前のポーランド、あるいは自分の生い立ちやら何やら全てを含む。自分に蓄積されているはずのものを解きほぐして明快に説明をするのに、実に面倒くさい過程を踏まなければならない。こういう思考トレーニングをしてこなかっただけに、正直しんどい。けど、案外快感かも。

西研先生には、実は浪人時代に駿台予備校でお世話になっていた。小論文の講義を受けていて、とても話が分かりやすく人柄もとてもよかったことを覚えている。有色人種差別と「チビ黒サンボ」「ダッコちゃん人形」に関する小論文を書いて講師室に呼ばれ、楽しく批評を受けたりした。20年以上経った今、当時のようにとても明快にフッサール現象学について講義を受けているような気分になる。

わかった気になる。でも、説明しろと言われるとキツイ。
現象学に加えて、集団間社会心理学についても調べている。もう泣きそう。だけど案外楽しい。

自分の専攻、つい忘れそう。となりの芝がきれいな緑に見える。